「弁理士とコラム」
2025.12.16
その他
久しぶりにコラムの執筆担当であるとの連絡がきました。
コラムといいますと、日本弁理士会のパテント誌の、確かティーブレイクというコーナーだったと思うのですが、ある弁理士先生が、どうしてうまいコラムを書くことができるのですかと質問されてしまったという話が載っていたことを思い出します。
弁理士という職業上、あまり含みがある文章といいますか、文学的な文章を書く機会はあまりありません。
有名な最高裁判例に「技術的意義が一義的に明確に理解できないとか・・の特段の事情がある場合に限って・・」という言い回しがあったと思います。このため、特許出願では、「一義的」でない記載、つまり多義的な記載が好まれない傾向があると思います。また、明細書にそういう記載をすると、補正手続や外国出願でも苦労することがあるかと思います。
そういう背景から、「一義」でない記載は好まれない傾向があります。複数の意味に解釈できるのでどちらのことを述べているのか、文章を見直しなさいと先輩から厳しい指導を受けた弁理士先生も多いのではないかと思います。また、テクニカルライティングを勉強した弁理士先生も多いはずです。それで、上記のような質問になったのだと思います。
特許出願の業務を続けていくと文学的な文章は書けなくなっていくと思います。
毎日のように、一義的でない不明確な文章になっていないかを気にしながら文章を作成するのです。「コラム」でさえ、そういう文章になってしまうのは仕方がないと思います。
少し悲しい職業病です。
日本弁理士会中国会 弁理士 M.A.